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祝島を訪れて一年 [祝島]

祝島から大阪に戻ってきて、
子供と天王寺動物園に行ったとき、
子供が悲しそうに、
「ブタいなかった」
と言いました。

絵本には豚がよく登場します。
馴染みがあったので、見たかったのでしょう。

それならば祝島に連れて行きたいと思いました。
祝島では豚が元気に走り回っています。

昨年、祝島を訪れたときは、
丁度、春の嵐がやってきており、
船が欠航しました。

丸一日、船が欠航することは、
それ程、多くないそうですが、
天候には逆らえません。

予定では、一泊して、大阪へ帰るつもりが、
二泊することになりました。

滞在が一日延びて、
結果的には、
そのお陰で、多くの方と出会うことが出来ました。
祝島に長年住んで、地域の歴史に詳しい橋部さんに、お話を伺うことも出来ましたし、
長野から来ていたご家族と知り合い、後に、長野に呼んで頂きまして、祝島の講談をさせて頂きました。
氏本農園の氏本さんや、地元の方々にも、講談を聞いて頂くことが出来ました。

春の嵐が来なければ、
予定通りの船に乗り、
そんな出会いがあることに気付かず、
大阪に戻っているところでした。

ただ、父に心配をかけてしまったことが、
申し訳なかったです。

父が、ニュースで、嵐が近づいていることを知ったのでしょう。
心配そうに電話をしてきましたが、
私も子供じゃないので、
滞在が一日伸びても、問題がないように計画をしていました。

それよりも、父は闘病中だから、私の心配などせず、
穏やかに過ごしてほしいと思いましたが、
やはり、心配なものは心配なんでしょうね。

今は、その気持ちがよく分かります。

父は、その二週間後にこの世を去りましたが、
子供は何年経っても子供だし、
親は何年経っても親なので、
いつだって子供のことを考えていて、
心配をするものです。

私も、子供がくしゃみをすれば心配し、
走って転んでは心配し、
毎日心配していますが、
十年、二十年経ってもその気持ちは変わらないでしょう。

子供が大人になったとき、日本はどうなっているんだろうか、
さらに未来では、地球はどうなっているんだろうか、
その気持ちというのは、
ずっと途切れることなく、未来を向いているんだと思います。

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祝島の海。

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山を登って、登って、平さんの棚田へ。
親子三代で作り上げた棚田。
石垣の高さは約八メートル。

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棚田の句碑。
「今日もまた つもりし雪を かきわけて 子孫のために ほるぞうれしき」

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狛犬。

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船。

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山道。

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役行者のお堂へ向かう。

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美しい練塀。

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こいわい食堂の庭。太陽光でお湯を沸かすことが出来る。

祝島に滞在して その四 [祝島]

港でレンタサイクルを借りて、海沿いの道を走ります。

祝島に向かうフェリーの中に、
地図が載っているパンフレットが置いてありまして、
自由に持ち帰ることが出来ます。
これを頂きました。
島内のことが詳しく書かれていまして、
非常に役に立ちました。

地図を見ながら、サイクリングです。

海沿いの道は、風がきついです。
自転車がなかなか前に進みません。
景色を楽しみながら、
自転車を漕ぎます。

広い道があって、
自動車もそれ程走りませんから、
気楽にサイクリングが出来ます。

どこへ向かったかと申しますと、
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豚のいるところです。

祝島の氏本農園は、
映画でも名高いのですが、
豚を放牧しています。

豚のいる畑が島に何ヶ所もあります。

氏本さんに伺った話では、

豚を、肉として、効率よく出荷するには、
身動きができない程の小さな檻に入れるそうです。
そして、
豚の目の前に、ベルトコンベアでエサを流して、
排泄物は、お尻の下にあるベルトコンベアで、流れて行くようにする。

運動もさせず、
ただひたすらエサを食べた豚は、
すぐに太りますから、
早く出荷出来ます。

しかし、
人間でいうと、
運動不足の成人病の豚ですから、
内蔵はボロボロで、
ホルモンとしては、出荷できない体になっているそうです。

その点、
祝島の豚は、
体つきも立派、
顔もべっぴんです。

景色の綺麗なところに住み、
島内から持ち寄られる残飯を食べ、
走り回って暮らしていますから、
ストレスもないでしょう。

時間をかけて、自然に大きくなります。
実際に、お肉も頂きましたが美味しかったです。

豚が雑草地を、
綺麗に耕して、
糞を撒いて、良い畑に変えてくれます。

豚はまた別の雑草地に引っ越しをして、
豚が作ってくれた畑で、作物を育てる。

その作物は人間が食べ、
残飯は豚が食べる。

循環型の農業です。

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畑から飛び出さないように、
電気柵もあります。
ソーラーパネルの電力を使用しています。

この豚の姿を見て、
食事のこと、
環境のこと、
未来の社会のことを考えました。

氏本農園・祝島だより

祝島に滞在して その三 [祝島]

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朝市ではお餅つきをしていました。

ちらし寿司を買って、
予約をしていた『はまや旅館』に向かいます。
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港のすぐ前にあります。
玄関には、
『本日は休ませて頂きます』
という札が出ていまして、
「エッ」
と驚いたのですが、
玄関で予約の旨を伝えますと、
すぐに二階の部屋に案内して頂けました。

後で聞けば、
年中この札を出しているそうです。

部屋でちらし寿司を食べます。
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350円です。

大阪で食べるものとちょっと違います。

そういえば、
徳島でちらし寿司を食べたときも、
ちょっと変わっていまして、
上に金時豆が乗っていたのですが、
 
祝島はまず形が違います。
バームクーヘンのような扇型になっています。

色も綺麗ですし、
美味しいです。

大きいのでお腹一杯になりました。

祝島に滞在して その二 [祝島]

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(祝島のびわ畑)
祝島へ向かう日。
朝、五時に起きまして、
五時半の電車に乗りました。

なぜ、こんなに早起きなのかと申しますと、
祝島へ行くには、
船に乗らなければならないのですが、
その船が一日二便なんです。

午前出発と夕方出発。

大阪から行く人は、
大抵、夕方出発の船に乗りますが、
私が行った日は、
祝島で丁度、朝市が行われていまして、
午前出発の船に乗れば、
この朝市に間に合うので、
こんなに早くに起きたのでした。

朝市があると知ったのは、佐野高太郎さんのツイッターでした。

佐野さんは写真家です。
東京在住でしたが、
原発事故以降、住居を祝島に移して、
農業をしながら、写真家をしている方です。

面識がありませんが、
その生き方に感銘を受けまして、
ブログやツイッターを見ておりました。

どこに住むかというのは、
人にとって非常に大事なことで、
話が少しそれますが、
私自身は宝塚市で生まれまして、
一歳の時に滋賀県に引っ越して、
高校卒業と同時に大阪に引っ越して、
浪人の時は堺市に住んで、
大学の時は富田林市に住んで、
芸人になった時は、師匠宅の近く、東大阪市に住んで、
師匠が亡くなってからは、大阪市に住んでおり、
滋賀県にいた期間よりも、
大阪府に住んでいる期間の方が長くなりました。

大阪市は新婚家庭家賃補助制度があり、
家賃補助として、月二万円、六年間も貰えますので、
有難いのですが、
人生で一度ぐらいは東京に行ってみたい、
花のお江戸で一旗揚げてやろうと、
思った時期もあったりします。

しかし、子供が生まれてみますと、
何かと実家に近いほうが便利でもあり、
東京に住んで、
小南湖が、
「てやんでぇべらぼうめ。神田の生まれよ」
なんて喋り出すと、困ってしまいますからね。

芸人として生きるならば、
大都市の方が仕事がある。
子育てを考えるならば、
都会よりも自然豊かな土地の方が良いと思っています。

子供が小学校に通い出すと、
引越しもしにくくなりますので、
生涯、大阪に住むのかなあと考え出した頃に、
親の勧めがあって、
マンションを買うことになり、
どこのマンションにしようか、
あちこちのモデルルームなどを見学して、
大阪市内のあのマンションにしようと決めた時に、原発事故が起こりました。
その直後は、
さて、マンションを買ってしまっていいのか、
そもそも、大阪に住んでいてもいいのか、
迷いがありました。

色々と考えて、
現在は大阪で子供を育てながら、
芸人として生きています。

話が随分とそれてしまいましたが、
住む場所というのは、そう簡単に変えることが出来ないのに、

佐野さんは、
東京から、祝島に引っ越しました。

その決断が素晴らしいです。

祝島に行ったら、佐野さんと会えたらいいなあ、
そう思いながら、
電車、新幹線、船を乗り継いで、約五時間。
祝島へ到着しました。

港の側で朝市が行われておりまして、
そこに佐野さんがいました。

あっさり会えてしまったのです。

佐野さんに教えて頂いた生ひじき。
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ひじきが解禁になるのは冬で、
大潮の日に、潮が引いた後、鎌でひじきを刈るのですが、
冬の大潮は夜中になり、
寒い中、ひじきを刈る。
それを大釜で三、四時間茹でて、
蓋をして一晩蒸す。
こうして出来たのが、生ひじきです。
食べると海の味がします。

これを天日に干せば、乾燥ひじきになりまして、
日本全国どこでも食べることができますが、
生ひじきは滅多に食べることができません。
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(祝島の乾燥ひじき)

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祝島に滞在して その一 [祝島]

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祝島という地名を初めて聞いたのは2009年の山水人でした。
山水人は滋賀県の山奥で行われているお祭りです。
自然豊かな場所にテントを張って、
ゆっくりとお祭りを楽しみました。

その時、映画の上映会がありました。
まだ完成前だったのですが、二本の映画を上映していました。

その映画というのが、
「ミツバチの羽音と地球の回転」(鎌中ひとみ監督)
「祝の島」(纐纈あや監督)
です。

原発事故以降、注目を集めた映画です。

映画を観て、その後、
「中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録」(著・那須圭子)
「国策の行方―上関原発計画の20年」(著朝日新聞山口支局)

という二冊の本を読んで、
これは現代に日本に生きる全ての人々に伝えたいことであると思い、
講談「祝島 原発反対三十年」というオリジナルの物語を作り上げました。

2011年9月に初演することが決まり、
口演の前に、実際に祝島へ足を運んで、
毎週月曜日に行われているデモに参加しようと、
祝島の旅館に宿泊予約の電話をしたのですが、
予約が一杯で、宿が取れませんでした。

仕方がないので、現地に足を運ぶことなく、
高座に上がりました。

客席には祝島出身で、大阪在住の方がおられ、
「故郷を思い出して、涙がこぼれました」
という感想を頂きました。

季節が冬となり、
年が明けて、春となり、
季節もよくなってきたので、
再び、祝島の旅館に電話をしてみると、
宿が取れましたので、電車に乗って、一人で祝島に向かいました。
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ぶんぶん通信(4枚組) 映画「ミツバチの羽音と地球の回転」撮影現場からのレポート [DVD]


祝(ほうり)の島  原発はいらない!命の海に生きる人々 [DVD]


国策の行方―上関原発計画の20年


中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録